白河夜船
原作を読んでから映画を観ました。
主人公・寺子は、植物状態の妻を持つ岩永という男と不倫を続けている。仕事もせずに暮らしていたある日、親友・しおりが死んでしまう。恋人である岩永にそれを告げることができないまま、ひたすら眠り続ける日々を過ごす寺子。
「彼の妻のいるところは、どんなにか深い夜の底なんだろう。しおりのいるところは、そこに近いところなんだろうか?きっとすごく濃度の濃い闇、私の心も眠りの中でそこをさまよう時もあるのだろうか?」
大切な人が亡くなってしまったとき、やはり故人は「夢枕に立つ」のだと思います。
わたしの親友は2009年に亡くなりました。かなしくてさみしくて会いたくて、夢に何度かでてきて会えたので、当時わたしも眠ってばかりいたような気がします。
単に、なにもする気が起きなくて、気力も体力もなかったから寝ていたのかもしれません。心の、胸の痛みや苦しみは、身体的な、物理的な痛みなのだと知りました。
「私はとてもしおりに会いたかった。それで、決して会えるはずがないのにあてもなく遠まわりをして歩き続けた。なんとなくそのほうがしおりに近づける気がした。次第に人通りは少なくなり、夜が濃くなってゆくように思えた。」
大好きな人が「あの世」に行ってしまうと、やはり心がそちらに引っ張られるんだと思います。「その世界」に近づきたくてうろうろしてしまう。寺子の心が弱ってしまった様を、泣いたり嘆いたりすることではなく、ひたすら眠るということであらわしているのが、かえって現実味があります。
しかし寺子はあるきっかけで立ち直ります。
「私の内にはいつの間にか健やかな気持ちがよみがえってきているように思う。それは、友達を亡くし、日常に疲れてしまった私の心が体験した小さな波、小さな蘇生の物語にすぎなくても、やっぱり人は丈夫なものだと思う。こんなことが昔にもあったかどうか忘れてしまったが、ひとり自分の中にある闇と向き合ったら、深いところでぼろぼろに傷ついて疲れ果ててしまったら、ふいにわけのわからない強さが立ち上がってきたのだ。」
「わけのわからない強さ」 これは、本当にその通りです。
映画はですね・・・
原作への思い入れが無い人が観たら飽きるだろうなあ、という印象。原作を読んでから観て正解でした。
小説の世界がほぼそのまま映像になっていて、さらに映像になってはじめて気づくところもあり、おもしろかったです。
とくに、しおりの夢をみて目が覚めて落ち込んでいる寺子を励まそうと岩永さんが「うなぎを食べに行こう」と提案するシーン。文字だとさらっと読み終わる1ページ足らずの場面ですが、映像になるとやたら長い!まだうなぎの話してる!と、なんだか笑えました。しかも励ます方法が「うなぎ食べに行こう」って、岩永さんのおっさんっぷりがほほえましい。落ち込んでいる理由は告げずに、うなぎの話題にのっかる寺子もかわいらしい。すれ違っていても寄り添いあう二人。
そして、最後の花火のシーン。
これは小説では特に2人の服装について描写はなかったのですが、絶対に浴衣ではない、というわたしの妙な思い込みがあり、もし映画で寺子が浴衣なんか着ていたらどうしよう・・となぜか緊張しながら観たんですが、ちゃんと洋服でした。あーよかった。
立ち直った寺子が花火を見上げる顔が、ちゃんと立ち直っていて、安藤サクラさんさすがだなーと思いました。
こっちも観たいのです。
ところで死んでしまった親友しおりがやっていた「添い寝」の仕事。
添い寝することの危険性というか意味について少し触れられていたのですが、ちょっと消化不良なのでやはりこちらを読まねばと思いました。
わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))
- 作者: ガブリエル・ガルシア=マルケス,木村榮一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/09/28
- メディア: 単行本
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ちなみに、ここ数年でわたしが食べたなかで一番美味しかったうなぎ