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なずな

「もう、オムツにミルクかけた方が早いんじゃない?」
という、アメリカンジョークがあるそうです。
それくらい、赤ん坊(とくに新生児期)は、摂取したものをすぐに出します。

「繰り返しだ。繰り返しが大切だ、と自分に言い聞かせる。繰り返しミルクを飲み、繰り返し便を出しているうちに、なずなは大きくなる。大人になって成長が打ち止めになった私も、地道に日々を繰り返していれば、きっとどこかにたどり着けるだろう。」

なずな

なずな

事故と病気でそれぞれ入院してしまった弟夫妻にかわり、生後まもない姪・なずなの面倒をみることになった独身男の日々を描いた小説です。
なにせテーマが育児、しかもまだ歩きも喋りもしない乳児ですから、日々の変化といえば「笑うようになった」とか「熱をだした、かも」とか「予防接種を受けに行く」とか、とても些細なことであり、また、主人公の仕事は地方紙の記者なので、記事に書こうとして追う出来事も非常に地味。しかし、当事者にとってはそれらはすべて大事件であり、狭い行動範囲のなかで起こるゆるやかな変化がダイナミズムをもって描かれています。

「赤ん坊の周囲に出来することがらは、つねに不意打ちに属する。善し悪しはべつとして、予測していなかったときに後戻りのできないなにかが起きるのだ。」
飲む、出す、は、「後戻りのできないなにか」のための神聖な「繰り返し」であり、オムツにミルクをかけていては決して得られない喜びがそこにはあります。主人公は慣れない細切れ睡眠で体力的に疲れてはいるけれど、なずなの世話を嫌そうにはやらないし、面倒くさそうでもない。
育児を賞賛してはいないけれど、なんかいいな、と思わせる小説です。
わたしは産休中の、きたるべき育児生活にまだ不安を抱いていた頃に読んだのですが、読了後には主人公といっしょになずなの世話をしていたような気分になれて、「なんか、いけるかも・・」と、根拠のない自信がわいてきました。
また、なずなの面倒をみるようになってから、行動範囲が狭くなり、そのぶん、その中での些細な変化に敏感になった主人公は、子どもの成長を見守るのと同じ視点で地域の変化をみつめることによって、「書く記事が前より良くなった」と上司にも褒められます。世界が狭くなることで生まれる豊かさもあるんだなと思いました。

日常をていねいに描写する小説なので、必然的に、日々の食事もたくさん出てきます。わたしが真似してつくってみたのは、まずスクランブルエッグの入ったBLTサンド。

つづいてカレーピラフ。冷蔵庫の余り野菜(タマネギ、ピーマン、ブロッコリーの茎、にんじん等)と豚肉をみじん切りにし、米とスパイスと一緒に炒めて蒸し煮。

ほかにも、新ゴボウのサラダやキャベツの春巻きなど、主人公行きつけの店のママがつくるおいしそうな料理がたくさんでてきました。このママ以外にも、近所の小児科の先生とその家族や、職場の人など、たくさんの人に助けられて主人公はなずなの世話をしていくわけですが、育児がこれくらいパブリックな、たくさんの人に関わってもらえるものであるといいなあと思いました。